会津魂5

権力賤民 金欲賤民 快楽賤民に対置される武士道精神


 翻ります。西洋における市民革命とは、革命の先導者とそれに踊らされた下層階級とがタッグを組み、絶対的な王制を侵略しにかかります。

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そしてこの扇動者なるものは、王侯貴族よりも低い階級に位置している新興中産階層であり、或いは下級貴族であり、彼らは権利の拡張を渇望していました。ですからもっぱらの関心事は権力の簒奪であり、自余の人々の幸福のことなど、あまり眼中にはなかったことでしょう。日本においては薩長土肥の下層武士が徳川幕府を倒しましたが、彼らのなかにおける高材が、どのような見識、そしてビジョンを持っていたのかは私には分かりません。徳川家への怨恨(ルサンチマン)が暴動(謀反)の燃料になっていたことはすぐにわかりますが。因みに島津久光(1817~1887)は徳川幕府に代わって、島津幕府が樹立されると考えていたようです。
     
 翻ります。西洋では市民社会が大衆社会へと移行してゆく過程のなかで、かつての貴族階級の人々、そして貴族主義者たちは、眼前の社会に対しどのようなスタンスを旗幟したのでしょうか。フリードリッヒ・ニーチェはこれを非常に分かり易く概念化しています。 
現代の惨状を予見していたニーチェはかつて『ツァラトゥストラはこう言った』こう獅子吼致しました。


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「それゆえ、おお私の兄弟よ。一つの新しい貴族が必要である。全下層賤民と全暴力的支配者のどちらにとっても敵対者であり、新しい表に新に、“高貴”という言葉を書きつける貴族が。」「人生に背を向けた多くの者は、じつは賎民に背を向けたにすぎない。彼は泉と炎と果実とを、賎民たちと分かち合うのを浴しなかったからである。……私は支配者たちにも背を向けた。彼らが何を支配と呼んでいるかを私は見たのだ。彼らが支配と呼ぶのは、賎民相手の商売の取引にすぎぬ!諸国民との間で、私は言葉の通じない異邦人として、耳を閉ざして暮らしてきた。権力をめざす彼らの利権あさりや商売取引きの言葉が、私にはこれからもずっと異国語であってほしいものだ。……こうして私は、まるで耳も聞こえず、唖となった不具者のように、永いあいだ暮らしてきたので、権力賎民、文筆賎民、快楽賎民とは交わらずにすんできた。」「およそあらゆる人間の運命のうちでもっとも手厳しい不幸といえば、地上の権力者が同時に第一級の人物ではないことである。そういう場合にはいっさいは虚偽となり、邪となり、奇怪事となる。」



 言うまでもありませんが、ニーチェの思想詩と言うものは、単なる思いつきの直感や時尚の嫡子ではなく、全西洋文明史を細嚼した営為がここに結晶しているのであります。


 畢竟、ニーチェはパワーエリートの従順な「家畜」、「畜群」たる大衆とは拘り合いを持たず、尚且つ権力の亡者たる「権力賤眠」「政治屋」にも背を向けると言いうスタンスを取ります。(因みにニーチェは貴族を出自としていません)ニーチェは両方とも、精神の下賎な人間であると鑑識しています。つまる所、ニーチェのような精神レヴェルの高い人には
「上を見ても賎民。下を見ても賎民。」
という絶体絶命の「死地」が眼前に開かれたと言えるでしょう。つまりかかる状況において自分の自律・主体性を形成するとなりますと、どちらにも与することができず、身の置き所がないのが実情なのです。これらに反逆の気炎をあげるのならば、必然的に世捨て人的な人間になり、或いは半狂乱的外観を帯びずにはいられないでしょう。こういう大衆社会に宣戦布告し、「存在」の自律・主体性を目指すとなれば、並々ならない覚悟がいることでしょう。
 どうやらニーチェは自分の主体性を死守することで手一杯であったようです。
そして旧貴族階級の人々が常識的に考えるならば、下層階層の人々は自分たちの特権を侵略した人ですし、現行の権力者層(新興中間層を出自とする)も自分たちの既得権益の縮小、簒奪を図った人たちです。ですから両者に対し強い敵愾心を持っていることでしょうし、また両者の賤しい出自や、下等な精神性を侮蔑していることでしょう。社会の表舞台に立つ連中がこのように卑陋なのですから、自分たちだけは高貴な精神を把持し、死守しなければならないと思うことでしょう。

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 しかしニーチェが「貴族」として指摘する対象は、何も身分制における貴族だけではありません。そして「賎民」にしても身分上の下層階層を指摘する概念ではありません。ニーチェが「賎民」と言って憚らなかった人間とは、如上で述べたような俗物どもであり、決して社会階層における最底辺の人を侮蔑するための概念ではなかったのです。断じてなかったのです。絶対に。一般的通念としてではありますが、我が国では市井のみならずアカデミズムにおいてさえも、ニーチェが下層階級を侮蔑して憚らなかった、貴族主義の差別主義者であるという謬見が定着して久しいです。が、これはとんでもないことです。彼らが何故ニーチェの言わんとしたことを微塵も理解できなかったかと言えば、それは論じるまでもないことです。つまり彼らこそがニーチェの一番軽蔑した人々であり、彼らこそがニーチェの言った「賎民」に他ならぬからです。


 オルテガ(1883~1955)も人間の貴賎が現実の身分制の貴賎とは符合しないことをいっています。「大衆とは労働者階級のことではなく心理的事実である。」
故に私が如上において遠慮会釈なく侮蔑した大衆というのは、単なる身分による下層階層を指摘する概念ではないのであります。底辺の階層に属する人であっても、大衆ではない逸材はいくらでも存在するのであります。逆もまた然りでありまして、上層階級の人々にも「賤民」はいくらでもいるのであります。ですからニーチェの貴族主義とは下層階級の人々を侮蔑するために発案された概念装置ではないですし、貴族階級を追従するために発案された概念装置でもない訳です。

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 つまり貴族、そして賤民とはあくまで精神の貴賤に基づいた評価と言えます。例えば日本の幕末を典拠に致しますと、武士でないにも拘らず、武士以上に武士道精神を持っていた人々がいました。新選組を立ち上げた近藤勇や土方歳三は武士階級ではありませんが、生半可な武士よりは遥かに高潔な武士道精神を持っていました。伝習隊、奇兵隊の隊士たちもまた然りです。
「只まさに一死をもって君恩に報いん。」(近藤勇)
「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」                     (土方歳三)
これほどの清廉高潔な武士道は、生半可な侍ではとても持つことはできません。現代において考えた場合でも、武士道とは武士を先祖に持つ人々だけにあるものではありません。これはあくまで精神の位階の問題であり、高潔な精神を持つ人々に武士道は宿るのであります。そして社会を変革する上で中枢を構成する人々はこれらの人々です。


ニーチェはこう言いました。
「およそあらゆる人間の運命のうちでもっとも手厳しい不幸といえば、地上の権力者が同時に第一級の人物ではないことである。そういう場合にはいっさいは虚偽となり、邪となり、奇怪事となる。」


現在の日本の上層階層の人々、つまりパワーエリート、テクノクラート、高級官僚とは「第一級の人物」ではありません。かつての武士は、武のエリートであり、知性(教養)のエリートであり、風雅のエリートであり、高貴なる精神のエリートでした。身を捨ててまで国を守り、主君を守り、庶民を守ろうとしました。しかし現代の上層階層の人々には、このようなものは絶無です。そればかりか私利私欲に走り、大衆(B層)を人間として見ない程、侮蔑しています。つまり本当の意味において彼らはエリートではありません。彼らはかつての武士のようにノブリス・オブリージュを持っていないからです。

武士道とノブリス・オブリージュ


 上述致しました通り、ニーチェは権力賤民(上層階層)快楽賤民(大衆)に背を向け、せめて己一人だけは、或いは自分と同じくらい高い精神の気圏に住まう人々(精神の親類)だけは、高貴なる貴族主義的精神、或いは清廉な騎士道精神を死守すべきであると考えた筈です。しかし私はこれよりも一歩進んで貰いたいと思うのであります。ノブリス・オブリージュを内奥に抱いていただきたいのです。目の前に弱者がいたら貴族精神を披露し、或いは騎士道精神を燃焼させ、彼らに手を差し伸べてほしいものです。
では現代の日本を典拠にしてこれらのことを考えてみましょう。現代の日本の底辺階層の人々を俯瞰してみますと、如上した「B層女性」「スイーツ脳女性」に象徴されるような人間しかいないのが現状です。彼らは快楽消費にどっぷりと耽溺し、自分よりも高階層のものに常に敵愾心を燃やし、マスメディアがこれらの人々の醜聞を摘発すると欣喜雀躍します。
 ここで私はこういう問いを発します。かつての武士階級はこのような人々に惻隠をかけ、救済しようと考えるでしょうか。

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 私の場合ですと、このような人々を侮蔑こそすれ、慈悲心を持とうとは考えません。しかも今の日本は薩長土肥の下層武士が作った国です。しかし目の前に弱者がおり、或いは不正が蔓延っているのならば、これをどうして放っておくことができましょう。武士の子孫の端くれとして、これを放っておくことはできません。このような状況において私は「什の掟」に象徴される会津武士道を御披露しない訳にはゆきません。


 今、眼前の社会を見ますと、非道な政治政策が当たり前のように行われています。下々の者はそれに翻弄され、意気消沈し、呻吟し、疲弊しています。如何に薩長土肥の下流武士が作った国であっても、弱者を放っておくわけにはいきません。
武士の子孫の端くれとして、これを見過す訳には参りません。武士を先祖に持つ人々は悪制に敢然と立ち向かう気概を持たなければなりません。そのためにはかつての武士道精神を復興しなければなりません。私の場合は什の掟に象徴される会津武士道です。
 長州人の言葉ですからあまり引用したくありませんが引用致します。


 「武士道というのは、身を殺して仁をなすものである。社会主義は平等を愛するというが、武士道は自分を犠牲にして人を助けるものであるから、社会主義より上である。」

(乃木希典)


 これは無論、民主主義にも当て嵌まります。

 ですから私は社員を慈しみます。しかし慈しむということは必ずしも一人一人を平等に待遇することではありません。何故なら人間の能力や資質には激しい偏差が介在するからです。能力に応じて待遇しなければ、会社が発展することはありませんし、また有能な人間が凡庸、或いは無能な人間と同列に扱われたら、これほど精神的苦痛を感じることはないでしょう。ですから私が愚考する慈しみとは畢竟、惻隠の情に他なりません。私は社員が困窮している時は誰彼の区別なく惻隠の情を持って接します。そしてその窮状を緩和すべく微力な手を差し伸べます。苦悶している者が眼前にいたら、身分や能力の格差に関係なく手を差し伸べるのが惻隠です。例えばこういう不幸があったと致します。妻を亡くした、あるいは大病を患った、この場合における苦痛のレヴェルは、全く身分とは没交渉です。
 弊社は「惻隠大慈」を社是としています。

                        >>来るべき新時代と会津武士道

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