会津魂4

大衆は国家経営に対する良識を持っていない・民主主義とは極限の階級社会である


 最後にこれを申さなければなりません。確かに国民国家の形成により、人々を束縛していた身分制は瓦解し、形式においては人間は誰もが平等であるという社会が到来するに至ります。百姓も商人も武士に委縮しないで済む世の中が来ました。しかし現代の「大衆」とは、近代の啓蒙主義者が想定した「市民」とはても似つかないものです。

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 例えば、民主主義とは、その人間の知的レヴェルや社会的地位や出身階層に関係なく、万民が平等であることを保証する政治システムであり、参政権においても、その人間の教養レヴェル・倫理・人格・資産等に関係なく、万人に等しく一票の投票権が与えられる政治システムです。であるが故に、人間の能力・資質・社会階層・出自等の偏差や個別性が徹底的に解体されることになり、人間が極限まで均一化し・矮小化し・抽象化することになります。人間を一番、劣化させる方法は、人間の偏差を不問に付し、全ての人間の属性を平等という概念で一括処理することです。つまり平等とは巨大な人間均一化兵器であり、能力や身分の偏差を蹂躪し、全ての人間を一階層に収監することに他なりません。そして誰もが平等な民主主義社会においては、識者の一票でも、無識者の一票でも、知的劣等者の一票でも全く同じ方法で処理されてしまいますので、内政・国防、外交、国際政治等の政治の質を著しく劣化させることになるのは理の当然と言えます。ですからパワーエリートやテクノクラートが、自分たちの私利私欲を肥やすための政治体制を確立するには、教養レヴェル及び価値判断の能力の低い大衆を、政治階級に偽装させることが不可欠なのです。

国会議事堂

 そして平等は人類の普遍的真理であるが故に、地球上のあらゆる地域にまで平等の尖兵は派遣され、偏差・不平等の大虐殺が行わなければならないのであります。言わずもがなですが、事実上、衆愚政治の肥やしである無識層に選挙権を与えるのは、有識層の良識に基づいた投票を圧迫するためであり、徒党を組んだ「数」に「質」を虐殺させるためなのであります。

つまり悪徳政治家が悪政の辣腕を振るうためには、膨大な数の無識層を政治階級に偽装させることが必須要件なのです。
 小泉元総理のワンフレーズ・ポリティクスを動員した大衆政治を見れば分かるとおり、民主主義の実態とは、最も洗練された専制政体にすぎないことが暴露されました。


 ライト・ミルズ(1916~1962)は、「権力は可視的なものから不可視なものへ、認知するものから匿名のものへと、また搾取も物質的なものから心理的なものへと転換することを指摘する。」と述べています。
 ヨハン・ホイジンガ(1872~1945)は、大衆をして「大人が思春期或いは少年期の行き方に行動する」と述べ「小児病」と定義しています。「つまらぬ気晴らしを求めたがる欲望、粗野なセンセーションの要求、巨大な見世物に対する喜び、……物事にたちまち同意してしまうこと、他人の思想に寛容でないこと、褒めたり非難したりするときに途方もなく誇大化すること、……」と述べています。
或いはギュスターブ・ル・ボン(1841~1931)はこう言っています。「民衆は、灯火に向かう昆虫のように、幻想を提供する修辞化のほうへ本能的に向かう。……寧ろ誤謬でも魅力があるならば、それを神のように崇めようとする。」と。



 つまり大衆とは政治階級ではなく、世論とは主権者の意思ではなく、民主主義とは万人が参与できる非階級的な政治事業ではありません。民意の声というものは、民意なるものを組織したエリートの声の単なる影でしかないからです。そしてその影は言論を商売にするメディアを介して大衆向けのものとして偽装され、あたかも大衆が主体的に立案したかのような錯覚を彼らに与えます。そして彼らを指嗾する単純極まりない甘美な味付けの知識の深遠には、幾重もの陰影が重層しており、それとは全く違う姿をした高度な知識体系が秘匿されていて、それが彼ら(大衆)の真の支配者になっています。しかし大衆はこんな常識を夢寐にも考えられません。
 そして大衆とは常にその認識にすら達することのできない隷属者であります。畢竟致しますに民主主義とはエリートが無尽蔵の大衆を専制統治するための、非常に合理的な権力機構と言えます。天国をいくら覗いてみても神様はいません。同じように民主主義の楼閣をいくら覗いてみたところで、自由様・平等様はいらっしゃらない。そこにおられるのは膨大な大衆を統べる少数のエリートたちです。大衆でも高等な部類の人々は、こういう見識に想到するかもしれません。しかし下等な部類の人々は、このことにさえ全く気づかないどころか、自分たちをして民主主義の主人公であると本気で考えている始末です。これでは救済の可能性する著しく低くなってしまいます。恐縮でございますが忌憚なくの述べさせていただきますと、大衆とは民主主義の端役であり、エキストラにすぎないのが現状と言えます。
 否、衆愚政治、全体主義の準主役級であり、共犯者です。そして演出、脚本は彼らを使嗾した為政者です。

底辺階層(B層女性)の女性・スイーツ脳女性を嬲り者にする民主主義

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それにしても何故国を統治する少数のエリートたちは、政治価値を大衆へと植え付ける際に、浸透の媒体として女性を利用するのでしょうか。それはいうまでもなく、食べ物、ファッション、レジャー、美容、そして「冬の~」に象徴されるような映像文化等、つまりポップ・カルチャー、サブカルチャーといわれているものの、一番のお得意様は下層階層(B層)の女性たちだからです。低俗な恋愛カルチャー、セックスカルチャー、フードカルチャー、美容、美容整形等に、とことんまで玩弄されているのは当該階層の女性たちです。企業によって上記のものが生産され、マスメディアによって巨大な情報資本が大衆へと投下されます。すると瞬く間に同じような容貌と価値観を持った女性たちが無尽蔵に増殖して行く訳です。皮肉にも彼らこそが「個性」、「個性」と主張している人たちなのですが。

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 余談ですが、私は子供の頃でしたら単なる侮蔑心をもって、この愚行を処理することができましたが、最近に至っては非常に不気味なものを感じています。かかるB層の女性の生態に。下層階層の女性たちが、ポップ・カルチャーの次元においてならば、いくら情報資本に搾取されていようとも、私はそれほどは問題はないと考えます。当該の人々には甚だお気の毒なことですが。しかしこれが政治というハイカルチャーにまで煩累を及ぼすとなると、決して看過できる問題ではなくなります。
 何故ならこれこそが、選ばれた少数のエリートが無尽蔵の知的劣等者を治定する所の衆愚政治の元凶なのですから。しかし何故、下層階層の女性たちは煩累を及ぼすことができるのでしょうか。それは人間は生まれながらにして、能力の偏差を問わず誰もが主権在民である、という謬見に基づいた教育を受けて来たからです。
 では何故、国を統治する少数のエリートたちは、こういう女性たちに嘘を教えてまで、主権在民として厚遇するのでしょうか。それは言うまでもありません、知的水準の低い彼ら(彼女ら)ならば簡単に操作することができるからです。考えてもみてください、正気の状態おいて、「冬の~」(かなり古いです。何分私はそれ以降テレビを見ておりませんので。)に熱狂し、「純ちゃ~ん」と黄色い声を上げている彼らが、自分の知的レヴェルの階梯を正確に知悉し、自分の知的レヴェルに基づいた冷静な行動などできる訳がありません。彼らは芸能と政治の概念の区画さえあまりできない人でたちなのですから。彼らが知的レヴェルにおいて最下層を形成することは論をまちません。少数のエリートが無尽蔵の知的劣等者を統治する衆愚政治を、より洗練された形態にするためには、下層階層の女性達が必須要件になる訳です。

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 余談ですが、世の中に女性ほど操り易いものはないのではないでしょうか。(私がここで指摘している女性とは女性全般のことではりません)彼らは自分の能力というものを疑うことさえ知らないが故に、その慢心にできる間隙を容易く突くことができます。無論、下層階層の男性が衆愚政治に寄与していることは否定できません。しかし彼らが惹起する害悪は、女性のそれと比すれば取るに足らないものでしょう。

 かつての小泉首相に「純ちゃーん」と言って黄色いエールを送っていた下層階層の女性(B層女性)達は、彼の政策の淵源にある新自由主義的経済学など露ほどもしらなかった無識の人達です。彼ら(彼女ら)は建前上は主権在民です。しかしその実体はかつてのヒトラーに黄色い声を送ったドイツの下層大衆同様、政治階級には程遠いものがあります。彼らは宛然ナチスドイツ治下の下層階層の女性を彷彿させるように、小泉氏のような政治タレント、政治的コメディアンの言説に踊らされて付和雷同し、盲目的に政策を支持しました。仮に彼らに日本国の首相を直接選挙できる権能を与えたとしら、すぐさま全体主義は成立することになります。ここで或る言葉を引用しましょう。


「平等は専制主義のもとにおいてのみ可能である。そして社会が平等を望むならば、社会は不可避的に専制主義におもむかねばならぬ。平等、平等の幸福、平等の飽食を求めるならば、最大の不平等、つまり、多数にたいする、とるにたらない少数の暴君的支配を招かずにいない。」〜ニコライ・ベルジャーエフ
「全体的支配体制は大衆運動がなければ……不可能である。……大衆の信頼なしにはヒットラーもスターリンも指導者として留まれなかったであろう。」〜ハンナ・アーレント
「人間はすべてのものに対して権利をもてば、すべてのものを持てなくなります。」(バーク)


知的レヴェルの低いものに対して、あなたは聡明ですよと、嘘をいって煽てあげ飼い慣らすのは、卑しくも人間の尊厳に対して一番のひどい仕打ちではないでしょうか。これがまぎれもない大衆相手の政治の実務処理の定石であっても。これらの人間達には、本当のことをきちんと教えてあげて、その「分限」のなかで社会生活を営ませてあげるのが、支配階層の本当の惻隠ではないでしょうか。

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翻ります。愚考致します所、本当の女性差別とは男性に比して女性の権利や資格が低いということではありません。(勿論、これは差別ですが) 本当の女性差別とは根も葉もないことを言って女性を煽て上げ慢心させることです。女性を裸の王様にすることです。そしてこの慢心を体よく利用することです。消費社会や大衆政治は容赦なくこれを利用しています。
 当節では「婚活」「肉食系」「アラフォー」等の言葉に、とことんまで弄ばれています。それは見るに堪えないものがあります。そして断っておきますが
私がここで指摘している女性とは、勿論、女性全般のことではありません。B層女性、スイーツ脳女性のことです。

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